Dのための小さな暮らし

すべてはDのため、あれもこれもDのため

貯金100万円は分岐点

どうも、ナギです

 

千葉県浦安市在住、年収280万円の非正規アラサーです

 

夢と魔法の国に月1ペース行くために、ミニマムライフを送っています

 

貯金100万円は「安心して停滞する」か「ギアを上げて資産形成に取り組むか」の分岐点だと、経験則から感じております

 

私のケースだと、完全に前者です

 

実家暮らしで貯金が100万円あったのでなんとかなるかぁと安心して、コロナ禍で失職してそのままニートになってしまった

 

資産額の増加はたびたび「欲望」と「怠惰な行動」を私たちに想起させます

 

その金額は人によってまちまちでしょうが、私は100万円がそれだったわけです

 

貯金100万円は、意識的に貯めなければ達成できない金額です

 

そのためには節約しなければいけないし、欲望を抑えなければいけない

 

周りの友人が好きなものを買い、好きなものを飲み食いしてSNSにアップしているのを、じっと我慢しなくてはいけない人もいると思います

 

毎月収入の何割かを貯蓄に回す行為は、慣れないうちは苦痛を伴います

 

手取り20万円の2割を貯蓄に回すとしても毎月4万円、つまり、100万円貯まるまでに単純計算で2年ちょっとかかるわけです

 

ボーナスがある人もいると思いますが、案外、世の中的には少数派のみたいです

 

もらっても寸志であったり、1〜2ヶ月分と少なめな人も多いでしょう

 

私もそうで、前職ではボーナスは寸志でした。0.5ヶ月分(=税引後の手取り7万円)が最大支給額で、今振り返っても悲しい金額です

 

そして100万円という数字と失職のタイミング、寸志ボーナス支給が重なり、結果として「停滞する」ほうを選んでしまった

 

頑張るモチベーションが尽きてしまったからです

ところで、石川啄木の第一歌集『一握の砂』に「はたらけどはたらけど、猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る」という有名な詩があります

 

この詩は労働階級の悲哀を表現した詩なのですが、まさに当時の私がピッタリ当てはまっていました

 

少ない給料で頑張って貯蓄して、ついにボーナスがもらえると思ったら超少額、しかも不況にやられて会社は傾き、結果として失職

 

そこに「貯金100万円」という材料があったので、私は怠惰な道に流されていった、という運びです

 

今はそんなことしないと誓っています。ミニマリズムで淡々と毎日を生きて、たまに変化をつけて暮らしを楽しむ

 

ミニマムライフコストや生活防衛資金という概念も知っていますから、貯金の「金額」で踊らされることはしません

 

自分にはいくら必要なのかが分かっているだけで、心の平穏は保たれます

 

よって「安心して停滞する」ことも「ギアを上げて資産形成に取り組む」こともなく、自分のペースでコツコツやっていけています

 

なんだかゴチャついた文章になりましたが、言いたいことは1つだけ

 

”貯金100万円で慢心して、それまでの積み重ねを無碍にしたらダメだよ、過去の私”

 

すべてはDのために

では、また